今回の日馬富士の暴行事件にも言及している横審。
ワイドショーなどでも偉そうに横審のメンバーは暴行事件について語っていた。
なぜ偉そうにできるのだろうか、違和感しかない。
・横審の違和感
横綱による暴行事件とあって、横審も暴行事件について言及している。
横審の委員会メンバーはなぜか偉そうにワイドショーのインタビューで言及していた。
そこに大きな違和感がある。
横審は言わば、内規を基準にして横綱となる品格や実力があるのか判断する委員会だ。
つまり、横審が品格や実力があると判断したから横綱になることができるのである。
日馬富士は横綱になったということは、横審は日馬富士の品格は横綱に足りると判断したわけだ。
だが結局は、日馬富士は暴行事件を起こしてしまい、横綱の品格を貶めたわけである。
それにも関わらず、横審は偉そうな態度でいられるのだろうか。
横審は品格の無かった日馬富士を横綱にしてしまった責任があるのではないだろうか。
自分たちが横綱だと認めたのだから、横審のメンバーは責任を感じるべきだろう。
しかしどうだろうか、横審メンバーの態度はそんなものではない。
反省の姿勢もなく、批判しているだけだ。
これでは横審は老害の集まりでしかなく、無用の長物ではないのだろうか。
・横審の不要論
実はかねてから横審については不要論がある。
横審は内規をもとにして横綱への昇進などを決めている。
しかし、その基準があまりにも曖昧であり、横審の好き嫌いではとみられているのだ。
なかでも、日本人力士への贔屓が凄い状況となっている。
逆に、外国人力士に対しては厳しい判断ばかりをしているのだ。
日馬富士が2009年5月場所で14勝1敗で優勝した際も、横審は次の場所で14勝以上の優勝と相撲内容の充実を求めたのである。
琴欧州にしても、2008年5月場所で14勝1敗で優勝した際も、横審は次の場所で高いレベルでの優勝を求めたのだ。
このように、曖昧な基準で好き嫌いで横綱昇進を決めている横審にはかねてから不要論があるのである。
日馬富士の暴行事件でも、横綱に昇進させた自分たちのことを棚に上げている横審。
反省の一言もでないような横審は不要なのではないだろうか。